2008年5月15日木曜日

There's no cure

お釈迦様と同じ日に生まれた、わたしの神様
ピーター・ペレットは、
茶色地に白い水玉のよれよれシャツに
暗いカーキ色のよれよれズボンをはいて、
黒いおしゃれな、でも明らかに女性ものの
ジャケットを着て、ステージに出てきた。
靴は例によって、汚れたキャンバス地の黒いスニーカーで
ペレのファッションセンスが変わらないのが嬉しかった。

でも大きな茶色のサングラスははずさなかったので、
目を見ることはできず
そして、
とてもとても痩せていた。












このツアー3ステージ目、一日置きとはいえ
さすがに疲れているのではないか、と思ったけれど
時々洟をかむ以外は(アンプの上にティッシュの箱が置いてあった。
風邪をひいたのか、何か他のもののせいか)
元気で、機嫌もよさそうでにこやかで、
わたしの人生に劇的影響を与えたあの声は少しも変わっていなかった。

ステージにへばりついていたので、音的には全く良くなかったけれど、
いいの、これが最後かもしれないペレの歌う姿を、表情を見たかったの。
おかげで、メンバー同士でつぶやきあう声も聞くことができた。
アランが、セットの真ん中あたりで、覚えたてなのか「サヨナラ」って
言った時、ペレ、「それは Good-byeって意味だよ。まだだよ」。

わたしには技術的なことを語る知識はないけれど、
アランとマイクは、さすがって感じで、しっかりしていて
それをベースにして、
布袋さんのようなジョンが、気持ち良さそうに、寝てるんじゃないのと
思わせるように目を閉じながら
「パンクバンドの中で唯一ギターソロができるギタリスト」と
言われる美しいギターを奏で、
その3人がいるから、ペレは、自由奔放に、ギターをかき鳴らし
歌えるのだと思った。
いや、多分違うのかも。
ペレもたいしたギタリストなのかもしれない、
けど、わたしにはそれはわかりません。

新曲を3,4曲やり、2回目のアンコール=最後の曲も
誰も知らない新しい曲で、それで終わるなんて、ほんとにもう。
でも新しい曲があるだけで嬉しい。
ペレには、まだ、新しい曲をかく事ができるのが嬉しい。
しかし、誰かそれをレコードに、じゃなくCDにしてくれるのだろうか。

幸運にも、メンバーに会えて、話をする事ができた。
今から思うと、あれも言いたかったこれも聞きたかったけど
「来年来るかも」発言もあったので、うん、期待していよう。
みんな、とてもフレンドリーで、ご機嫌で、ファンの子たちの
話に耳を傾け、良い対応だったです。
大人って感じか。


そして、びっくりなおまけ。
ペレの2人の息子、ピーターJrとジェイミが来ていて、
彼らと、女の子のシンガー、そしてドラムがジョンという
スペシャルバンドがサポートバンドだったの。
女の子はとてもきれいな声をしていてお顔もきれいな子だったんだけれど
バンドとしてはイマイチかなぁ、という感じ。
もちろん、今やっている自分たちのバンドではなかったし
なぜこんなメンバーでやろうと思ったのかは謎だけれど
でも、パパの演奏の時には、ローディーのような仕事をしていた。
特にジュニアが。
ずっと、ステージの端で見ていて何かあるととんでいってお世話をして
とてもいい子、純真な感じがした(でもたばこ吸いすぎ)。
終わったあと、バーにきたジュニアをじっと見ていたら
気がついてくれてにこっ、とほほ笑んでくれた。
両親の血か、すごく小柄。

ジェイミは、弟のやんちゃさがそこはかとなく感じられて、
なので、帰る時、階段の途中にいた彼に、ちょっと
挑戦してみたわたし(だって、パパにはさすがに言えなかったもん。
神様だもん。俗世間の会話は出来ないよ感がわたしにはあるのだ)。

「来シーズンはがんばってね、スパーズ」と言ってしまったのだった。
そして、その日、渋谷のサッカーショップで買ったフラムのピンバッジを
示して「わたしはフラムだよ~」宣言。
ジェイミはそのバッジを見て(古いクレストだったのですぐには
わからなかったみたいで、じっと見てた)、
「You survived(やっと残留したね)」と 言った。
よく知ってたね。
プレミア最終日、彼は東京にいたのだけれど
ちゃんとチェックしていたのだわ。
スパーズはレッズに負けて悔しかっただろう。
ごめんね、ジェイミ。

あ、息子たちも、なぜか、キャンバス地の汚いスニーカーで、
これはペレット家の伝統か。

しかし、こんなパパなのに、よくちゃんとここまで育ったものだ。











およそ30年前に送られてきた新年のあいさつハガキ
(Baby’s got a gunのプロモーション用に作られたのだと思う)
に、やっともらえたサイン。
これで幸せに死ねる。

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