2008年9月2日火曜日

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フィンはエスパニョールに行ってしまった…。

昨日の、移籍期限最終日、
わたしはBBCのライブテキストを見ていたのだが、
何回か目の更新後、フィンの名前が目に入った時
「ああ、いよいよ。で、どこ?ブラックバーン?」と思ったら、
なんと、エスパニョール。

海外に行くなんて想像もしていなかったので、
見た瞬間、頭が真っ白になり
足からすうっと力が抜けて行ってしまったのだった。
すべての血液がなくなったみたいだった。


呆然…。


しばらくして、
なんとか、気を取り直して
よろよろと、エスパニョールの公式HPを訪ねた。
フィンの写真があった。
うう、本当なんだ~と、パニくりながらも
英語版があることを発見。
地獄に仏。
でも、スペイン語(とカタラン語)版の方が内容充実だし
わたしもフィンと一緒にスペイン語勉強しなくちゃだわ、と決意した。
明日辞書を買いに行こう!
いや、待て、2年契約とはいえ、
冬にも帰って来るかもしれないし、
あ~、でもそれってフィンが成功しなかった
という事だから嫌だし、
でもでも、などと、色々な事考えて、
っていうか、ほとんど考えられなくて
もう何が何だか。


その後(深呼吸して、ウィスキーを少し飲んだ後)
色々見てまわって
結局、レッズの監督は、
エスパニョールのウィンガー、リエラ
(貧乏人用のバリー)を獲る為に、
足りないお金のかわりにフィンを差し出したらしい
(クラブはそうとは認めてないけれど。
でもフィンの移籍金は発表されなかった)という事がわかった。

そしてエスパニョールのスポーティングディレクターが
レッズでラファのアシスタントをしていた
パコ・エレラだという事も 知った。
彼が辞めた後、レッズの不調は、パコがいなくなったからだ、
という人も結構いた位、重要な人だったらしい。

どうしてフィンはスペイン行きを拒否しなかったのだろうと
思ったのだったけれど
彼は、メルウッドで腐ることの方を拒否したのね。
パコがいたからというのも大きいかもしれない。
少なくともわたしは、知り合いがいる、というので
すごくほっとしたのだった。
パコは、もちろん、そこそこ良いことを言ってくれている。

フィンが決断したのだから、わたしはもちろん、応援する。
どうしてこんな事になったのか、 という恨みは強くあるけれど
(アメリカ人オーナーがバリーを買うお金を出してくれさえしたら
フィンはバーミンガムに引っ越すだけで よかったのだもの)
フィンが決めたのなら仕方ない。

エスパニョールの青と白のストライプシャツは
好みじゃないし、
フットボール専用スタジアムじゃないのも嫌だけど
(でも、新しいスタジアム建設中。2009年に完成らしい。
新しいアンフィールドはいつになるのやら。はは)
仕方ない。
ユーロの後、9月になったら解約しよう、と思いつつ、
ぼんやりとほっといたWOWOWが必要になるとは。


今週はインターナショナルウィークなので、
フィンはグルジア戦とモンテネグロ戦
(どちらもアウェイ)があり
その後、バルセロナ(エスパニョールがバルセロナに
ある事も知らなかった) に行くらしい。
9月15日頃。
13日のマンU戦でファンに挨拶とかしてくれたらいいのだけれど。

レッズファンの掲示板に来て
この移籍に関して監督を責めるような発言を
してくれた人たちには うるうるしたけれど、
でもチームは監督のもの。
監督がフィンをいらないといえば
フィンが出来ることはもうない。

がんばれフィン!
スペイン人はあなたが誰かを知らない。
その人たちに、すごいRBじゃんと言わせるんだ。
普通に自分の仕事をすればいいのだからね。
そしてレッズの監督に後悔させてあげて。


フィンのエスパニョールでの背番号が15なの。
へんな感じ。
空いている中で一番若い番号だったのだけれど。
英国系の子は大きな番号はつけないのよね。
そして、スペイン人の「しっかりフルネーム」が
フィンにも適用されて、
公式HPでは「Stephen John Finnan」と書いてある。
よかったわ、ミドルネームがあって。














イングランド人て、余程太陽に飢えているのか、
フィンへのはなむけで、
「スペインの太陽を楽しんで」というのが
たいへん多かった。
日本人には理解しにくいことだ。
日焼けしたフィンなんて見たくないんだけど…。

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